山の夢を見ていた。
寒い雪の中で、テントに閉じ込められている。
寝袋(シュラフ)の中で、吹雪の音を聴いている。
テントにぶつかってくる風と、小石のような雪の音。
そこで、手紙を読もうとしている。
瀬川加代子からの手紙だ。
その手紙を、自分は持っているはずであった。
それが、見つからないのだ。
ポケットや、ザックの中に手を突っ込んで捜しても、見つからない。
もらって、自分はそれを読んだはずであった。
しかし、内容を思い出せない。
思い出せないから、もう一度、それを読もうと思ったのだ。
いやしかし、もしかしたら、自分は、その手紙をもらってないのかもしれない。
読んだ気になっているだけで、そんな手紙はもらってない。
だから内容を思い出せないのだ。
落ち着いたら、手紙を書くと言っていたその手紙だ。
ああ、待てよ、そんな手紙だったら、何が書いてあったか、必ず覚えているはずじゃないか。
それを覚えてないのだから、やはりもらってなんかいないのだ。
だが、どうして、その手紙をもらったと思い込んでしまったのか。
よくわからない。
本格的に、寝袋から足を出して、テントの中を捜せばいいのだが、寒いから、寝袋の中から手だけ伸ばして、手紙を捜している。
こんなやり方じゃ、見つかるわけはない。
ああー
それにしても、寒い。
テントの内側が、ばりばりに凍りついている。
何か温かいものでもあればいいのに。
女の肉体、あれはいったい、どんな温度だったかな。
それが、どうにもよく思い出せない。
自分の身体の温度と、理屈の上では同じはずなのだが、あれは、かなり温かいものだったような気がする。
しかし、何を考えていても寒い。
(夢枕 獏 ”神々の山嶺”より引用)
● Posted by saeki | 2012年06月05日 12:11 | さいきんぐ